私の「核」になっているもの
私には好きなものが数えきれないほどある。
その中の一つがロックバンドグループのUVERworldだ。(通称ウーバー)
学生時代にウーバーの『THE OVER』という曲を聴いてからというもの、初めて特定のグループの曲が大好きになった。
今までは誰のどんな曲を聴いてもその場限りだったり、しばらくハマったのちにまた別のグループの曲にハマったりというループを繰り返していた私にとって、まさに青天の霹靂のような衝撃を与えた曲だった。
一番幸せ願って 一番哀しませてそうで 自分に自信がなかった できるだけ一人で生きてきた
でも君だけが離せない なぜ君だけが離せない
一人じゃないと理解してしまった感情を 抑えきれないと認めた時になぜ 涙が出たのかは分からないけど
よく見れば青空も青一色じゃない その複雑さは心を映したようだ
THE OVER 歌詞
この曲はウーバーの中でも最高のラブソングだと思う。
知ったばかりの当時は本当の自分を見つけてもらえたような、行き着く未来を見せてもらえたような気がして、ボロボロ泣きじゃくった。
未だに聴く度に胸がギューっと締め付けられ、油断したら泣いてしまうくらい本気で愛している曲だ。
UVERworld『THE OVER』
そして、ウーバーの曲はどれも歌詞に込められた想いがとにかくアツい!!!
本当に歌詞もメロディーも惹きつけられるような、感情が爆発したような情熱に溢れた素敵な曲ばかりだから、ウーバーの曲語りだけのオタク記事も作ろうと思っている。
予想外の夫の反応
私は一度、夫にもウーバーの曲の素晴らしさを布教しようと思い、例の『THE OVER』を目の前で聴いてもらったことがある。
「私がウーバーの大ファンになったきっかけの大好きな曲だから、一緒にちゃんと聴いてもらいたい」という旨を説明したうえで。
感極まって涙ぐむ私の隣で、聴き終わった夫の感想はというと…。
「ギターの部分しか聴いてなかったわ(笑)
そんなに良い曲~?
なんか…歌詞も頭に入ってこない(笑)」
…すっげー適当に流し聴きしてやがった。
妻の好きなバンドの曲をそんな風に軽く言う夫にもショックを受けたが、何よりも
「このウーバーの曲の良さを理解できない人が目の前に存在した」
という事実が衝撃すぎた。
(そもそもちゃんと聴いてないし、そもそも聴くつもりもない人だったからノーカウントにしたいところ。)
心の鍋が煮えたぎる
(え…何これ…辛い…)とショックに耐えつつ、同時に自分の中で怒りの感情が沸々と沸き上がってくるのを感じた。
私はその場で感情をぶつけることはあまりない。
その場の感情のままに伝えてしまうと酷い言い方になってしまったりして逆に相手を傷つけてしまうから、自分の中で一旦冷静になって考えて、それでも自分に非がないとか、あまりにも相手が酷いとかで結果的に相手が理不尽だと結論が出た時に、お互いが落ち着いている状態を見計らって必ず伝えるようにしている。(というか伝えないと気が済まないしわだかまりが残り続けるよね)
そんな感じで普段ならイラっとする冗談や小さな悪意も上手くかわし、平常運転に戻すためにスマホのパズルゲームでストレス発散をするのだが、この時ばかりはパズルゲームに全く集中できず、ハートが速攻なくなり強制終了。
発散しきれずモヤモヤが増しただけになった。
それもそのはず。
自分の本当の気持ちに目を背けて、その場で考えないようにフタをしてたんだもの。
グツグツ煮えたぎった感情がフタを押し上げて、溢れ出ようとしていた。
溢れ出る寸前に、私はフタを開けてみた。
鍋の中身は「私は全身全霊でウーバーを愛していた」という事実。
全身全霊で愛しているものを人から否定された時の感情をさらに見てみると、
理解してもらえない悲しみ、
相手への失望、
「そんなわけない!」と相手の意見を否定する気持ちが入り込んでいた。
自分が一番否定されたくないし、否定されることの悲しみを知っているはずなのに、逆に私自身が相手を否定していた。
なんという衝撃の事実…!!!
誰もが侵しているかもしれない「無意識の否定」
私は考えた。
〈私が思う否定の仕分け〉
【心のない否定】…人がどう思うか考慮せず、自分の感情をそのまま言うことで極自然に否定してしまっている状態のこと。
【心のある否定】…その人のことを考え、思いやりの末に至った結論としての注意喚起にも近しい否定のこと。
こうして見てみると、心のない否定は生活の中で誰もが知らず知らずのうちにやってしまっているかもしれないほどハードルが低く、心のある否定ほど相手との信頼関係が求められるためハードルが高い。
「誰もが知らず知らずのうちにやってしまっているかもしれない」というのは「無意識で」とも言える。
無意識なら誰かのことを傷つけてもいいのか?
よくない。
だが無意識である以上、誰かを傷つけてしまうリスクのほうが格段に高い。
私が導き出した結論は…
「因果応報。良くも悪くも自分の行いは必ず自分に返って来る」
ということだ。
今回、ウーバーの曲を否定されたことでとんでもなく傷ついたのは、もしかしたら過去に私も誰かに同じことをしてしまったことが返ってきただけかもしれないのだ。
夫の体験談
ここで一つ、分かりやすい因果応報の体験談を紹介する。
実は、私の好きなものが夫に否定されたというケースはウーバーだけではない。
私は長年iPhoneを使用しているのだが、夫にAndroidを勧められた時があった。私は今のiPhoneの使い勝手が気に入ってるし今のままでいいという旨を伝えたら、
「俺はiPhone嫌い」
と言われたのである。
普通に嫌な気分になったので「自分の気に入ってるものをそんな風に言われたら傷つくよ」とだけ伝え、それから数日ほど経ったある日。夫が心なしかションボリした状態で仕事から帰ってきた。
なんと! 職場の人が夫のスマホの機種の悪口を言ってきたらしく、めちゃくちゃ不愉快な気持ちになったそう…!
夫「あの時ののる子の気持ちがめっちゃ分かった。ほんまにごめん!」
と自分から謝ってくれたのだ!!
まさに因果応報である…!!
自分のした行いがそのまま自分に返って来るという典型的な体験談だ。
この調子で推測すると、私のウーバー愛を軽くあしらって傷つけたという点で夫にも再び何かしらの小さな制裁が必要なタイミングで下されるかもしれない。
もしくは、ウーバー愛を夫に理解してもらえなかったのは私自身が誰かを傷つけたことへの制裁だったのかもしれないし、
「真相は神のみぞ知る」
である。
さいごに
ウーバーの曲を夫にあんな風に言われなかったらここまで考えることなんてなかっただろう。
「伝えても分かってくれなかった相手にはいずれ因果応報という名の天罰が下る」。そう考えれば自分の気持ちを分かってもらえなくても心の平安が保たれる気がする。
結局は傷ついた体験も人の気持ちを知るための必要な体験だったのだと本当に思う。
ただ傷つくだけじゃなく、傷ついたことで何を学び、それを次にどう活かすのか。
常に考えられる人でありたい。
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